これで、戦後は終わり
戦後70年の安倍談話が出て、ようやく戦後は終わりました。
戦後とは何か。
将来のある若い人の命も数知れず失われた。
生きたくても、生きられなかった命。
戦争を経験した人、戦争で生き残った人は、
戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で命をつなぎ、
生きたくても生きられなかった人たちの分まで一生懸命生きようと、
それが日本再建の原動力になった。
「尊い犠牲の上に、今の平和がある」
戦後生まれには、なかなか実感できないことかもしれないけど、
ほんとに、ほんとに、70年前の日本が戦争中だったなんて嘘のような世の中になっている。
ボクにとって平和とは友達と遊んだり、美味しいものを食べたりとかそんなありきたりな日常だったりする。
どんな形であれ、一生懸命に生きる。
一人一人が今の暮らしができていることに感謝の気持ちを忘れなければ、
戦争の記憶を忘れることもなければ、風化することもない。
不戦の誓いだ。
戦後生まれが人口の8割を超え、月日の移り変わりとともに戦争を経験した人たちが少なくなっている。
そしていつかはいなくなる。
これまでの日本は、ただひたすら豊かさを求めて繁栄することで平和に暮らすことができた。
それが戦後だった。
繁栄こそが平和の礎であるなら、
これまでの70年間よりも、
経済が成熟し、豊かさが当たり前になってしまった現代日本にとって、
この先の10年、20年、30年先の方が平和を築く道は、はるかに険しいはずだ。
グローバル化で、日本の繁栄はもはや、日本だけの力では難しくなっている。
そういう意味で、安倍談話はよかった。
安倍談話が欺瞞だとか、中韓の理解が得られていないとか、談話が気に入らない人は、どうぞ90年、100年と気のすむまで自分の言葉で土下座でもしに行くなりして、謝りにいったらいい。
自分の子供には戦争の責任など一切ない。
謝り続けることと平和を守ることは違う。
いろんな考えがあっていいんだから。
ただ、前を向いている人の邪魔だけはしないでもらいたい。
平和式典に感じる違和感
戦後70年、日本はずっと平和だった。
そうかもしれない。
でも、それはそれを言ってるあなたが平和に過ごすことができただけで、
正直、ボクは、北朝鮮に拉致された被害者家族の前で、「戦後70年間日本は平和でした」なんて言うことできない。
何の落ち度もない、普通に暮らしていた日本人が、ある日突然何百人も外国に拉致され、
国民の主権が侵されているのに、今だに救出することもできていないんだから。
中国の覇権的行動の脅威を身近に感じている石垣島の人や小笠原の人たちだって同じだ。
フジの新報道2001でのアンケート。
終戦記念日はいつか?
原爆が落とされたのはいつか?
日本との同盟国は?
全問正解がわずか17%、、、
40代ですら答えられる人がいない、
毎年毎年、広島長崎で平和式典やってるのはなんのためなのか。
その長崎の平和式典は非常に違和感を感じるものだった。
ラジオで聞いてたんだけど、反政権の空気感がヒシヒシ伝わってきた。
世界に発信すべきは、二度と戦争は起こさない、二度と核兵器は使わせないことなのに、
政治闘争の場に変わっている。
ニュースでは、長崎市長の安保法案の批判のところを切りとって報道する。
何のための式典なのかも理解してない人たち、メディアが、戦争の記憶を風化させている。
もうやめどきなんじゃないのかしら?こういう式典。
毎年毎年やってるのに未だに原爆落とされた日も、終戦記念日も知らない大人ばかりなんだから。
「戦争の記憶を忘れてはならない」
この言葉が、物語の意味をまるで理解していない役者が言うセリフのように、ペラペラ聞こえる。
<大阪都構想>利権あるから賛成し、反対する。政治家はそういうもん
大阪都構想について考える。
政令指定都市である大阪市は、都道府県と同じように行政を行う財源と権限を持っているが、大阪府にも同じように大阪府全体の行政を行う権限があるため、市と府の政策が対立して、行政が重複してしまったことで税金がムダに使われてきた。
国が一括で管理できればいいのかもしれないが、地方の個別の事情まで目を配らせることは到底できない。都道府県があり、市町村があるのはそのため。
横浜や名古屋など他の政令都市は、ちゃんと県と市ですり合わせができているので、大阪ほど問題になっていない。
ようするに、市役所の既得権益が全てなくなってしまうわけですね。
だから、反対派の大阪市は都構想に必死になって反対している。
だから国民は選択に迷う。
都構想は、これまでの既得権益をなくして、新たな既得権益を作るってこと。反対派の議員は今の既得権益を守ろうしていて、橋下維新はカジノ誘致、東京のバックアップ機能、そのためのインフラ整備を進める新たな既得権益を作ろうとしている。
①必死で既得権益を守ろうとしている市議に賛同していいのだろうか。
都構想の本当の目的は大阪市に巣食っている、市と癒着した利権団体、組合を解体して、東京のバックアップ機能が果たせる役所に新しく作り直すところにあると思っている。
これまで、税金をムダに使ってきた連中に市民の手で一矢報いることができる絶好の機会なのに、既得権を必死で守ろうとしている市議を市民が後押しするって、正直理解できない。
そもそも、自民、共産が手を組んで都構想に反対してる時点で、対案はありませんといってるようなもの。
街宣カーに相乗りして、共産自民が具体的対案を主張できると思いますか?
高齢者が喜びそうなことか、抽象的なことばかり。
あとは都構想への不安をあおるだけ。
自民と共産の政策は根本的に違うんだから、一緒になるってことは具体的対案がないってこと。
反対という一点のみ。
②反対派は不安をあおる。
都構想の財政効果は1億円程度しかない。
初期コストに600億円かかるので赤字だけが残る。
市民の税金は府に吸い取られ、市民の生活がとんでもなく悪くなる。
住民サービスは低下し、水道代、税金は値上がりし、保育所にも通えなくなる。
などなど、反対派は都構想が実現したら大阪はとんでもなく悪くなると言っている。
しかし、
こんなに悪い、都構想をどうして総務省は特段の意見なしとしたんだろうか。
市民の税金が府に吸い取られると、反対派は府を悪者にしている。
これまで二重行政だった広域行政を府に一元化するのだから、これに必要な財源が府に移転するのは当然のこと。
権限が市から府へ移っただけで、都市計画は行われるのだから、住民には本来どっちでもいい話。
むしろ市から府になることで、大阪府全体のことを考えたインフラ整備が拡充される。
住民の利害関係を調節することが政治の役目であるはずなのに、行政と行政、府と市が対立する今の構造で、どうやってサービスを充実させることができるんだろうか。
こういう不毛な対立をなくすために、都市計画は府に、住民サービスは特別区に財源と権限を移転するっていっている。
反対派からすれば都構想に不安があるのかもしれないが、賛成の立場からすれば、これまで市と府で積み重ねてきた有形無形の無駄はこれからも続くっていう不安もあるんです。
都構想のことがよくわからないのなら、自分の税金を、橋下維新、自民共産、どっちに預けるのがマシか考えてみればいいと思う。
橋下、松井体制と、平松、ノック、太田体制を比べてみればいいこと。
大阪都構想の世論調査、
都構想に反対の理由が「あまり理解していないから」が49%でトップって。
分からないなら調べたり考えたりしないのかね?
仮に都構想が否決されたとしても、他人任せで自分で考えることをやめている人たちが大半を占める自治体が発展することなんてできないと思う。
やっぱしダメだったか
ISは、後藤さんの殺害動画を日本時間の日曜の早朝に投稿したらしいが、おそらく日本のテレビが大々的にに日曜の朝から一日中報道してくれることを目論んでのことだったんだろうね、
今頃テロリストはほくそ笑んで日本の世論をみてるんだろうな。
ホント気分悪いが、諸悪の根源がなんなのか知るための努力はこれからもしてかにゃならん。
結果的に国民の命を救えなかった政府を批判することも理解できるが、この世にはまだまだ膨大な理不尽があるのも現実だ。
しかし、絶対悪と絶対善でどんどん世界が息苦しくなっていっていませんかね。
21世紀になって景色はよくなっても、中世に戻りそうな寒気がする。
ボクは自分の無力さを受けいれて、また日常に戻るよ。
震災でまなんだことだ。
ISILの思惑
以下、便宜上、イスラム国と表記します。
報道や、専門家のいろんな意見を読み、
もろもろ自分なりに整理してみたいと思う。
イスラム国の思惑はわからない。
だが、彼らのシナリオ通りにことが進んでいるのだと思う。
今、思うと、一連の動画を見る限り、イスラム国はハナから、日本政府と交渉する気なんかなくて、交渉の成否など関係なかったのかもしれない。
段階的に動画を公開することで動揺を促し、日本国民とヨルダン国民の感情を分断させる。
その証拠に、3回目の動画メッセージは、ヨルダン国民と日本国民が明らかに対立するような条件だった。
イスラム国のプロパカンダが意味するもの、それは外国人戦闘員を集めることだと、言ってる専門家の人がいた。
ホームグローンテロというのが彼らの戦い方だということに、説得力を感じた。
イスラム国の戦闘員というのはいろんな国々からの寄せ集めによって組織されている。
日本人はプロパカンダに弱い、日本のメディアもセンセーショナルに報道するいうことがわかれば、そのうち日本語でリクルートの動画が見られるようになるかもしれない。
それをメディアが迎合するように報道すれば、くすぶっている若者たちは動き出す。
日本人を戦闘員に加え、自国でテロを起こさせる。
これがイスラム国の狙いなら、本当に恐ろしい。
つまり、メディアがセンセーショナルに騒げば騒ぐほど、テロリストが利することになる。
しかし、この残虐極まりない悪の組織を掃討できない国連の存在意義とは一体なんだろうか。
結局のところ、国外で動ける諜報機関が日本になかった時点で、すでに詰んでいたのかもしれない。
NSCも機能していたか疑問だ。
交渉がヨルダン頼みになっていることが、ヨルダンを巻き込む事態にまで発展してしまった因果だと思う。
ボクはここまでの安倍政権の対応は間違っていないと思う。
というか、そもそも日本にCIAのような諜報機関や軍事オプションがない時点で、政府にできることは、選択肢というのは、他国に案件を依頼することしかできないわけで。
英国などは、自国民の救出に対しては、自分たちでオペレーションをする選択肢をもっている。
そして、それが抑止力にもなっている。
日本は、今報道されていることしかできないのが現状だ。
それでも、電話一本で各国の首脳と話が通じているのは、安倍さんの地道な外交の成果だと思う。
日本に選択肢が一つしかないというのを、イスラム国は知っている。
だから、後藤さん解放の条件にヨルダンと日本を分断させるような要求をしてきた。
日本は主導権を失い、ヨルダン政府に任せるしかなくなった。
イスラム国は、後藤さん解放の条件として、サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を要求し応じなければ、ヨルダン空軍中尉と後藤さんを殺害すると言った。
つまり、テロから戦争に変わることを意味しているわけで。
もし仮に、死刑囚を釈放し、後藤さんが解放されたとしても、イスラム国は、いつでも日本のせいにしてヨルダン空軍中尉を殺害するカードを持っていることになる。
今回の事件がどういう形で終わるにしても、結果を今後にいかさなければならない。
人を助けるにはリスクが伴う。
火事の家に飛び込む消防士がいなければ、救助されることなく人が死ぬことになる。
山で遭難した人を助ける自治体の人たちがいなければ、救助されることなく人が死ぬことになる。
今回の人質事件をきっかけに、テロ対策や安全保障に伴うリスクというものに対して、議論されるべきだと思う。
世の中には、理不尽によって死にいく命というのはたくさんある。
湯川さんもその一人だと思う。
例え、ヨルダンと日本が多くの代償を払って後藤さんを救ったとしても、世の中にある数え切れない理不尽によって死んでいく命の一つを救ったにすぎないわけで、その代償によってさらに多くの理不尽によって死にいく命が増えてしまっては、より多くの代償をこれからも払わなければならないことを考えなきゃならんけれども、とにかく今は、後藤さんが無事に解放されたら、責めることなく純粋に喜びたい。多くの人に迷惑や代償があることは本人が一番理解していると思うから、追い込むような非難中傷はないよう願いたい。
それでも神は沈黙したまま
いったいどうしたらいいんだ!というのが信者の本心じゃなかろうか。
人類の歴史というのは、最も古いもので氷河期以降からといわれている。
紀元前何万年前か何千年前かわからないけど、神様の存在を最初に言った人というのはかなりの異端と思われたんだと思う。
存在しない観念を説明するほど、大変なことはない。
言い出した本人も神がなんなのかわからないから、説明なんてできない。
だから、「お祈り」になったと推測してみる。
その祈りの姿は、今のような感じじゃなくてとても滑稽だったと思う。
しかし、神の存在をどうやって布教させていったのか疑問だ。
物語を作ったり、歌ったり、踊ったりしたのかもしれない。
そういう意味で、神様を信じる、信じさせるというのは当時の娯楽だったんじゃないのかと思っている。
なんなのかわからないんだからみんなで考えようじゃないかと。
世界中でいろんな人がいろんな話や歌を創作し発表したんだろうけど、日本はアマテラスの物語を気に入った。
岩戸の中に引きこもったアマテラスを引き出すため、みんなで歌って踊った「天の岩戸」や、国の奪い合いを話し合いで解決する「国譲り」の物語をみんなが気に入った。
感謝と畏怖の念を表し、もてなし祀る。謙虚で、調和を大切にするストーリーがこの民族は大好きで共鳴したのだろう。
日本神話があるから日本人は和を大切にするのではなく、日本人に和を大切にする心があったから、日本神話が創られたという風に考える。
それが、今の日本の宗教観になっていると思うし、どれだけ神が沈黙していても、常にそこにいる存在として、見えなくとも敬意を払い謙虚で入られる。
逆に、ある日突然、神がそこに現れたら、一番戸惑ってしまうのは日本人だと思う。
イスラム国に拘束されていた湯川さんが殺害されたと報道された。
報道を知った湯川さんの父の言葉がとても印象に残った。
(犠牲者の家族にコメント求めるメディアもどうかと思うが)
「政府から息子が殺害されたようだとの連絡を受けた時、頭が真っ白になり言葉が出なかった。しかし、政府や関係者の方々のご尽力に深く感謝している」
後藤健二さんについては、
「息子を心配し、自らの命を懸けて現地へ行ってくれた。申し訳なく、心苦しい。後藤さんが解放され、早く日本に帰ってくることを願っている」
と語った。
息子が殺されたばかりのときに、こんなコメントを言えるだろうか。
決して人のせいにはしない。力になってくれている関係者に感謝する。
日本人だから残せる、和の精神あるからこそ残せる言葉だと思った。
こうして世界を巻き込んでの事件になってしまった以上、自己責任で片付けることはできないけど、責任をとれるということは、本当は幸せなことなんだと思う。
どんな悲しいことがあっても、人は誇りを失わなければ必ずまた前を向けると思いたい。
そして、同じ日本人として後藤さん、そしてヨルダン空軍中尉の解放を願うばかりだ。
今回の人質事件についても、状況が切迫しており、日本政府も難しい対応を迫れている。
イスラム国は、後藤さん解放の条件に、ヨルダン政府に対しサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放をするよう要求しているが、ヨルダン政府は、死刑囚の釈放にはヨルダン空軍中尉の解放を要求している。
そこで、この事件ついて、そしてこの事件の結果を受けてどういうことが起こるのかを考えてみる。
2へ。
イスラム国について思うこと
まあ、いろいろ思うことがあって、
表現の自由とかも言われているけど、
例えば、
イギリスのモンティパイソンはギャグで、既成概念というものを解体していて、
価値あるものをナンセンスだと否定することで、一つのギャグは、宗教、権力、憲法とも対等になって、頭の固い盲目的に信じている人たちを笑った。
戯画っていうのは、意味や価値を見出してはいけないってこと。
あくまで笑いは、恐怖や不安に対しての緩衝材。
己の表現に対して抗議を受け取めることは表現者の責務。
間違ってると思ったら謝ればいい。
ことの発端は、中東訪問中に安倍首相が行った、対イスラム国への2億ドルの支援。
イスラム国が公開した1分40秒のビデオメッセージ。
「日本政府と日本国民へのメッセージ」と題し、
「日本の首相よ。日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドル支払うという愚かな決断をした」
と日本の対応を批判、その上で、
「この2人を救うために2億ドルの身代金を支払う賢い選択を政府にさせるよう、日本国民が政府に圧力をかける猶予は72時間だ」
と警告した。
この動画を見てまず思ったのは、
ISISは日本国民の世論をみているということ。
確実に日本社会が情報に脆弱かを見越しているってことなんだよな。
しかもネットではISISの期待に応えるように安倍首相の批判が始まるし、
日経新聞の昨年9月の記事を引っ張り出してきて安倍批判をする人もいて、なんの疑いもなくそれに賛同をし辞任を求める人たちが多いこと。
人の命を盾にとって、脅迫することなんか悪いって子供でもわかること。
安倍さんが長期政権を築きつつあるのは、こういう穢い主張をしている人たちがいるからなんだろうなってつくづく思う。
テロリストの理解を得ようなんて考えることは全くもってナンセンス。
ISISは日本国民の世論を見ている。
ボクは、ここまでの日本政府の対応は間違っていないと思う。
各国に協力を要請し、情報をあつめている。
イスラム国にパイプのある中田考さんに協力を求めるべきという声もあるが、彼はイスラム国のスパイかもしれないし、中田さんの言う2億ドルをイスラム国の難民支援に支払うっていうアイディアがまかり通るなら、そもそも彼のパイプなんか必要ないんじゃないのって思う。本質的には要求に従うと同じことなんだから。
仮に彼らのパイプを使って失敗したらどうするのか?
それよりも、ヨルダンやトルコのように現実的な情報を把握している国々に協力を要請する方が賢明だと思う。
各国が日本に協力してくれるのは本当にありがたい。
ベストにこだわりワーストの結果を残すくらいなら、よりベターな選択をするべきだよ。
まあ、しかし、なにをどう決断しても待っているのはいばらの道に違いないけど。
自己責任について、
お笑い芸人もアーティストも、ジャーナリストも自分の意思で信念を持って行動することができる。
自由だからだ。
自分に信じた道が不幸になっても、その責任は自身にあるのは当然のこと。
でも責任があるって実は幸せなこと。
もし仮に、責任は問わない、何があっても国が面倒をみるということなら、個人の自由なんて認められないだろうし、個人の意思を無視することになる。
だからと言って命を見捨てていい訳ない。
自己責任であっても遭難した人、危険地帯に飛び込んだ人も平等に、全力で救助にあたるのは国の義務。
つまり、ガザ地区などにも支援を行っている。ヨルダン関しては昨年も同様に行っている。こういうことをどうして報道しないんだろうかって本当に思う。
日本の外交はイスラム社会には支持されていると思うよ。
しかし、テロリストに屈してまで、人命救助はできない。
他の日本国民に危険が及び、国民の自由が損なわれかねないからだ。
その1ヶ月半後に、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された。それから次々と拉致されその人数は400人を超えている。
しかも、日本人をさらっていく北の工作員がわかっていながら、救出する法律がないため見過ごすことしかできなかった。
今回の人質事件も間違いなく北朝鮮は見ている。
ホント、人質事件を利用して執拗なまでに安倍批判をしてる人は、その執念を拉致事件の方にも回してほしいもんだよ。
普通に、どっちの事件も同じように全力で対応してるんじゃないかって思うよ。
政権批判をするのはあとでいい。
しかし、疑問に思うのは、動画配信後、2億ドルを要求をしておきながらイスラム国が日本にたいしてアクションをしてこないことなんだよね。
金が欲しければ、向こうから当然の連絡手段は何かしらあって然るべきなんだが。日本政府がイスラム国と連絡がとれているのを公表していないか、もしくはその逆か。日本国民の世論を注視しているのか。
もし、向こうは金目当てではないのだとしたら。
向こうが日本人を殺すことで得られるメリットは、なんだろう。士気を鼓舞するためのプロパガンダ的なことくらいしか思いつかない。
プロパガンダが目的ならボクは交渉の余地はあると思う。
日本人は宗教に対して排他的な思いは持ってないし、誰かが神聖なものと思っているなら、それを大切にできる。日本人を殺すことは虚しい。そう思って人質解放してくれることを願うばかりだ。
今回の事件に限らず、テロとの戦いは長く続く。
無関心無感動では、今がどれだけ幸福でもいつか自身の将来を見失うことになりかねない。