それでも神は沈黙したまま

世界史というのは戦争の歴史ともいえる。
宗教戦争は現在進行中だ。
これだけ多くの犠牲がありながら神は沈黙したままでいる。
いったいどうしたらいいんだ!というのが信者の本心じゃなかろうか。

人類の歴史というのは、最も古いもので氷河期以降からといわれている。
紀元前何万年前か何千年前かわからないけど、神様の存在を最初に言った人というのはかなりの異端と思われたんだと思う。
存在しない観念を説明するほど、大変なことはない。
言い出した本人も神がなんなのかわからないから、説明なんてできない。
だから、「お祈り」になったと推測してみる。
その祈りの姿は、今のような感じじゃなくてとても滑稽だったと思う。

しかし、神の存在をどうやって布教させていったのか疑問だ。
物語を作ったり、歌ったり、踊ったりしたのかもしれない。
そういう意味で、神様を信じる、信じさせるというのは当時の娯楽だったんじゃないのかと思っている。
なんなのかわからないんだからみんなで考えようじゃないかと。
世界中でいろんな人がいろんな話や歌を創作し発表したんだろうけど、日本はアマテラスの物語を気に入った。
岩戸の中に引きこもったアマテラスを引き出すため、みんなで歌って踊った「天の岩戸」や、国の奪い合いを話し合いで解決する「国譲り」の物語をみんなが気に入った。
感謝と畏怖の念を表し、もてなし祀る。謙虚で、調和を大切にするストーリーがこの民族は大好きで共鳴したのだろう。
日本神話があるから日本人は和を大切にするのではなく、日本人に和を大切にする心があったから、日本神話が創られたという風に考える。
それが、今の日本の宗教観になっていると思うし、どれだけ神が沈黙していても、常にそこにいる存在として、見えなくとも敬意を払い謙虚で入られる。
逆に、ある日突然、神がそこに現れたら、一番戸惑ってしまうのは日本人だと思う。

イスラム国に拘束されていた湯川さんが殺害されたと報道された。
報道を知った湯川さんの父の言葉がとても印象に残った。
(犠牲者の家族にコメント求めるメディアもどうかと思うが)

「政府から息子が殺害されたようだとの連絡を受けた時、頭が真っ白になり言葉が出なかった。しかし、政府や関係者の方々のご尽力に深く感謝している」
後藤健二さんについては、
「息子を心配し、自らの命を懸けて現地へ行ってくれた。申し訳なく、心苦しい。後藤さんが解放され、早く日本に帰ってくることを願っている」
と語った。
息子が殺されたばかりのときに、こんなコメントを言えるだろうか。
決して人のせいにはしない。力になってくれている関係者に感謝する。
日本人だから残せる、和の精神あるからこそ残せる言葉だと思った。

こうして世界を巻き込んでの事件になってしまった以上、自己責任で片付けることはできないけど、責任をとれるということは、本当は幸せなことなんだと思う。

どんな悲しいことがあっても、人は誇りを失わなければ必ずまた前を向けると思いたい。
そして、同じ日本人として後藤さん、そしてヨルダン空軍中尉の解放を願うばかりだ。

今回の人質事件についても、状況が切迫しており、日本政府も難しい対応を迫れている。
イスラム国は、後藤さん解放の条件に、ヨルダン政府に対しサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放をするよう要求しているが、ヨルダン政府は、死刑囚の釈放にはヨルダン空軍中尉の解放を要求している。
そこで、この事件ついて、そしてこの事件の結果を受けてどういうことが起こるのかを考えてみる。

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